ももいさん1

こんにちは!東北☆家族の広報担当・ももいです。

もう見て、聴いてくださいました?東北☆家族と矢野顕子さんのコラボアニメーションビデオ『海のものでも、山のものでも』。

観てくださった方々からは、カワイイ!感動!泣けた!などなど、もう絶賛の嵐!被災地のみならず、世界中にこのメッセージを広くお伝えしたいと、東北☆家族一同、熱く願っております。なんとこれ、YOUTUBEにて無料配信中!

それにしてもなぜ、こんなすごいことが実現したのかと、驚いていらっしゃる方も多いでしょう?ええ。なんといっても矢野顕子さんですからね、それも書きおろしの楽曲です。

一応申し上げておきますと、お察しの通り、東北☆家族にはこの偉大すぎるアーティストに楽曲提供を依頼する富や権力は、これっぽっちもございません。それどころか、今回のビデオ制作には多くのクリエイターが関わってくれていますが、その全員が気持ちいいほどボランティアである、ということを先にお伝えしておきたいと思います。

それではなぜ、こんなことが実現したのか。

それはもう、不思議なご縁とお導き、宇宙のようにだだっ広い矢野顕子さん&関係者、クリエイターたちの熱き魂の結集としか言いようがございません。ただ、ひとつ確かなのは「東日本大震災を機に、世界に伝えるべき大事なメッセージがあった」ということではないでしょうか。

それではいよいよ『海のものでも、山のものでも』アニメーションビデオがいかにして誕生したのか、その背景をワタクシ・ももいが、ご紹介してまいりましょう!

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はじまりは2011年冬。
今から自分たちにできることは?

話は、震災が起きた2011年までさかのぼります。

のちに東北☆家族プロジェクトを立ち上げる(2012年12月スタート)ことになるシオサカ・ヨシコは、もともとは雑誌に寄稿するフリーライターとして活動。矢野顕子さんやスタッフの方々とも、震災の数年前に出会い、いくつかの仕事を通じて親交を深めていました。

そして、震災から9ヶ月が過ぎた2011年末。矢野顕子さんのマネージャー氏がふと、シオサカに言いました。

「今から、被災地のためにできることってあるのかな」

この時の問いに、震災直後から被災地を見てきたシオサカは即答することができませんでした。

2012年3月11日。
震災から1年の思い

マネージャー氏と交わした年末の会話について、あまり深く考えないまま、シオサカは翌年の3月11日を宮城県仙台市の荒浜地区で迎えました。

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ここは、仙台市でも最も被害が甚大だった海沿いのエリアですが、ボランティア活動で仲良くなった被災者の方々に誘われ、1周忌の法要などに参加させていただいたのです。この時、シオサカは強く思ったことがありました。

 

あの日から今日まで、被災者のみなさんは、地震や津波、失ったものに対するショックがあまりにも大きくて、どこか夢うつつのまま、走ってこられたのかもしれません。

しかしその夢が今、突然、醒めようとしていました。「もう1年が過ぎてしまった」という現実にハッとして、くるりと後ろを振り返った瞬間、そこには何もない「未来」が彼らを待っていたのです。暗闇のような「明日」。誰もが愕然としていました。

彼らが本当の意味で絶望するのは、これからかもしれません。地震や津波でなく、今度は孤独と絶望が、被災地で人の命を奪っていくかもしれないと思ったのです。

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その時に思い出したのが、年末に交わした矢野顕子さんのマネージャーとの会話でした。
「矢野顕子さんの歌と声なら、心に響く人がいるかもしれない」

みんなが自分のタイミングで聴きたい時に聴け、日々の励ましとなって心の復興に寄り添っていく、そんな楽曲を提供することはできないだろうか……。

新たな発想を胸に、被災地から東京へ戻ったシオサカは、さっそく矢野顕子さんのマネージャーに連絡をとったのです。

やるよ!の即答
すべてが動きだした

一個人が、あの大御所アーティストに「無償の楽曲制作」をもちかけるという無謀な提案。
さすがのマネージャー氏も戸惑いを隠せませんでしたが、とりあえず「ダメもと」で、ニューヨークにいるご本人にメールを出してくれた。

すると、数日も経たないうちに「やるよ!」と、シンプルな返答が。

やるよ!

やるよ?

やるよ!?

これには提案者のシオサカが、もっとも慌てたと言います。

矢野顕子さんが無償で曲を作る。これはエライことになった!とまずはマネージャー氏と音楽プロデューサーの2人が、2012年5月に被災地を訪問。

実際に詳しく見る被災地の光景は、ふたりの心をより深く動かしていきました。

そして、ついに9月には、矢野顕子さん本人の石巻訪問が決定!曲を作るための「お忍び」取材旅行が実現する運びとなりました。

しかし、案内役を任されたシオサカの胸にはじわじわと「せっかく矢野さんが来るのに……」という野望が芽生え始めてしまいます。

そして次に石巻を訪れた際、なんとかしてくれそうな田村さん(石巻立町ふれあい復興商店街でお店を営む店主)に「実現するといいな」と思う夢を語ってみました。

すると、田村さんはおもむろに携帯電話を取り出し、誰かと話し始めました。そう、この方とにかく顔が広い。

数分後、田村さんのお店には、ライブハウスのオーナー・遠藤信和さんが登場していました。話して1分も経たないうちに全面協力を約束してくれ、あれよあれよという間に『矢野顕子と話そう会』の壮大なプランができあがっていったのです。

急な告知で、本当にみなさん反応してくれるのだろうか……。

不安でしたが、フタを開けてみると石巻内外から、被災者80名を超える参加希望が寄せられました。

ももいさんの休日
ももいさんの

2012年9月6日。石巻で
『矢野顕子と話そう会』を開催

いよいよ迎えた当日。矢野顕子さんとマネージャー、スタッフ1名を仙台駅にて迎えました。

そのまま、石巻のライブハウス『N'S SQURE』を目指して、走ること約1時間30分。

車中でシオサカは、矢野さんがなぜこの計画にのってくださったのか、はじめて直接、聞くこととなりました。

実は矢野さんは、2001年に起きた911(アメリカ同時多発テロ)を現場から2㎞圏内のご自宅で体験されていました。

もうもうと上がる煙、サイレン、人々の叫び声、辺り一帯を覆い尽くす不快な臭い……その模様は今も強く脳裏に焼き付いていると言います。

その後、日本に帰国した際、彼女はたくさんのマスコミから911について聞かれましたが、口を閉ざしてしまったとか

自分が住む大好きな街が破壊された苦しみを抱えながら、当事者の思いをまったく理解できない様子の日本のマスコミの質問に対応するのは、とても難しかったそうです。

「私は家や家族を失ったわけではないけれど、それでも深く傷ついた。体験のない人にはわかってもらえない、という当事者の気持ちはよくわかる」

この言葉を聞き、シオサカは今夜の『矢野顕子と話そう会』が被災者の方々にとっても良い時間となることを確信したのです。

そしてまた、矢野さんのこんな言葉にハッとさせられました。

「東日本大震災だけでなく、自分も含め、明日被災するかもしれない全ての人たちに向けて曲を作りたいと思ってる」

そうでした。
外から来た人は永遠に支援側のつもりでいますが、本当は今、誰もがこの瞬間にも被災者側になりうるのです。

矢野さんの大きな視点は、シオサカのその後の東北との関わり方を変えていきました。かわいそうな被災者を助ける善意のボランティアではなく、被災地から何があっても生き抜くためのスピリットを学び、それを世界に伝える者へと意識が変わっていったのです。

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(2012年9月6日。宮城県石巻市のライブハウス『N’s SQUARE』にて実現した『矢野顕子と話そう会』の様子)

『矢野顕子と話そう会』には、平日の夜にも関わらずたくさんの被災者とボランティア、関係者が集結しました。

実際、被災者の方々に「あの日」について語ってもらうのは、とてもデリケートなことでした。中には、初めて人前で語るという人、震える手でマイクを持ち、絞り出すような声で話してくれた人もいます。

悲しみ、怒り、無力感など、口調からにじむ感情は、一人ひとり、違っていました。

重く辛い体験も、人と分かち合いたい、話したい、という方がいらっしゃる一方、他者の話を聞くことで、震災以来フタをしてきた「あの日のこと」に向き合うことができた、心が軽くなった、と感想を伝えてくださる方もいて、『矢野顕子と話そう会』は無事に、幕を閉じることができました。

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↑翌日も、時間が許す限り石巻の街を見て周る矢野さん

そして、翌日のお昼には、津波で6人家族中3人を亡くされた中里美幸さん、風夏さん母娘と昼食をとる機会を設けました。とりわけ、ふたりにとっては息子であり、弟であった煌牙君(こうがくん・享年4歳)の死について聞くことは、その場に居合わせたスタッフ全員が、胸を痛め、被災者の悲しみを強く心に刻むこととなりました。

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↑津波で祖母と母、息子の3人を亡くした中里美幸さん(右)とその娘の風夏さん

生まれたばかりの『東北☆家族』に
まさかの「いいよ」

9月7日の夕方、矢野さんご一行とは、仙台駅でお別れ。

以降、連絡をとりあわないまま、シオサカは一方で、10年来の友人だった上海在住のイラストレーター、ワタナベ・マキコに声をかけ、2012年12月に『東北☆家族プロジェクト』を立ち上げていました。

文章だけでは伝えきれない東北の現状と魅力をキャラクターにのせ、子どもや被災地を知らない多くの人々にもわかりやすく届けたいという思いです。

もちろん、当初は矢野さんの楽曲とは別々の構想でした。しかし、ワタナベ・マキコが次々に描くユニークなキャラクター達を見るにつけ、シオサカはだんだんと、矢野さんの曲とこのキャラクター達をマッチングしたら、より強いインパクトとなり、多くのみなさんに大事なメッセージを届けられるのでないかと思い始めました。

そう。私たちのことです!

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始めたばかりの無名のプロジェクトに、矢野顕子さんの楽曲を合わせるなんて、あまりにも図々しい発想と思いましたが言うだけタダです。もちろん、ご本人に直接なんて、怖くて言えません。はじまりはいつも、マネージャー氏の説得からでした。

「ウーン……」

奇想天外な提案にうなりながらも、またまたマネージャー氏はニューヨークのご本人にメールを打ってくれたのです。もちろん、シオサカも渾身のお手紙メールを添えたと言います。

すると、ご本人からあっさり「いいよ!」という即答が。

いいよ?

いいよ!?

もっとも慌てたのは、またもや言いだしっぺのシオサカでした。

2013年春。ついに
『海のものでも、山のものでも』の楽曲が完成

「石巻訪問で最も印象に残ったのは、一人ひとり、体験や思い、考えが異なるということ。それぞれに違う思いをキャラクターにのせて昇華させるというのは、案外いいアイデアかもしれないわね」

そう言って、東北☆家族とのコラボレーションを快諾してくれた矢野さん。
約3カ月が経ったある日、マネージャー氏から突然「できたよ」というメールが届きました。

外出先でそれを受け取ったシオサカは、震える手で自身のIPHONEを操作し、歩きながら音源を聴きました。

♪ ズッチャーチャチャー、ズッチャーチャチャー……♪

予想を大きく裏切って、とても明るく、ユーモラスな曲調。どこかレトロであたたかく、本来の東北のイメージにぴったりです。脳理には、東北☆家族のキャラクターたちが次々、飛び出してくるほのぼのとした映像が浮かんできました。

しかし後半、歌詞の中には強い言葉が次々と含まれ、その圧倒的な迫力に胸を突かれ、立ち止まりました。

子守唄ではなく、これから被災するかもしれないすべての人に必要となる曲を作りたい」

矢野さんのあの時の言葉、その意味がシオサカにはハッキリと分かりました。

こうして生まれた『海のものでも、山のものでも【東北☆家族 おともだちソング piano version】』は、その後、矢野顕子さんが所属するレコード会社との話し合いにより、2012年の夏に発売されたアルバム『リラックマのわたし』の中の1曲としていったん、リリース。

その後は、曲にこめられたメッセージを広く、伝えていくべく、常識にとらわれないさまざまな形での広報が許されるという、異例の判断がなされました。

東北☆家族では、さっそくシオサカが脚本を書き、ワタナベが絵を起こす流れで、アニメーションビデオの制作をスタート。ワタナベの仕事仲間である上海在住のクリエイター・浅羽直幸さんも快く、ボランティアでの動画作成の協力してくれました。

さらに、イラストだけでは東日本大震災を伝えることが難しいと考え、シオサカはあるフォトグラファーに連絡を取りました。

阿部美津夫さん。

地元である宮城県石巻市で被災し、当時小学生だったふたりのお孫さんとその母親である娘さんを亡くされましたが、その後は大震災を全国に伝えるべく、ひとり力強い活動を続けてこられました。突然の連絡にも関わらず、会いに行くと、大事なお写真の数々を提供してくださいました。

2014年3月11日。
奇しくもこの日に公開が実現!

昨年9月にはサンプルデータが完成し、関係各所も内容確認済み。しかし、その後、機材の故障によって作業が中断するなどのハプニングに見舞われ、アニメーションは一向に完成せず。

関係各所がすっかり忘れてしまったであろう、2014年3月某日。ついに上海のワタナベ・マキコから、ハイビジョン対応での完成データが送られてきたのです。

気がつけば、あと数日で3回目の311を迎えるタイミングでした。

そしてバタバタと2014年3月11日O時、YOUTUBEでのフルバージョン、無料配信が実現。

誰も狙ってはいなかったこのタイミングは何だろう……。東北☆家族一同、不思議な力の後押しを感じるような気がしています。

そして当日、矢野顕子さんのツイッターでは、こんなつぶやきを発見しました。

「今日アップされたヴィデオ”海のものでも、山のものでも”の歌詞で、『人の心は変わるもの』っていうのがありますが、これは本当です。みんな変わる、なんぼでも変わる。自分の心なんて一番あてにできなかったりもするし。だからね、今の状況が永遠に続くかのように考えちゃだめだよー。損するよ」

そんなこんなで、公開が実現しました『海のものでも、山のものでも』アニメーションビデオ。

ぜひひとりでも多くの方に視聴いただき、心が前を向くための、ちょっとしたきっかけとなりますように。

東北☆家族はこれからも、『海のものでも、山のものでも』のメッセージを携え、みんなで上を向き、明るい明日に向かって行進していきます!


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