日本にある東北という場所は、2年前、大きな地震が起こって、街の大部分を津波にのまれてしまいました。
駅前にあった商店街も、ほとんどのお店が流されて、ゴーストタウンのように人がいなくなってしまったのです。
創業100年の歴史を誇る笹かまぼこの老舗『ささかま堂』も、家とお店の建物が津波でぼろぼろに壊されてしまいました。
大地震が起きたとき、二代目店主のお父さんは、たまたま出張に出かけていて留守でした。
東京のデパートで、東北の特産品を扱う物産展の打ち合わせがあったからです。
東京には、サラリーマンをしている息子夫婦の家もあり、夜は久しぶりに、小学三年生の孫娘と一緒に、ご飯を食べて泊めてもらう予定でした。
だけど、その日の午後2時46分、大地震が発生。
日本中が大騒ぎになってしまったのです。
テレビやラジオのニュースでは、太平洋の海の底が動いて、東北地方に大きな津波が押し寄せているとアナウンサーの人が叫んでいました。
『ささかま堂』では、今日もお母さんとアルバイトの夢子ちゃんが働いているはずなのです。
お父さんは何度も電話をかけましたが、まったくつながりません。居てもたってもいられなくなり、その日のうちに、息子の車を借りて、東京から東北へと戻りました。
途中、道路が閉鎖されたり、道に迷ったりして、とても長い時間をかけて、ついにお父さんは東北に入りました。
お父さんが生まれ育った街は、めちゃくちゃに壊されて、辺り一面を真っ黒なヘドロが覆い尽くしていました。
建物は崩れ、通りにはたくさんの車がひっくり返って、ペシャンコになっています。
あるところでは、大きな船が道をふさいでいるなど、信じられない光景を目の当たりにしました。
「こんなことでは、うちの店も無事であるはずがない」
『ささかま堂』は、創業者のおじいさんから、お父さんとお母さんがお店を引き継いだときに建物をリフォームして、二階を住まいに、一階をガラス張りのお店にしたのでした。
でもそれも、30年以上前のことで、建物はずいぶん古くなっています。
お父さんは車から降り、がれきを乗り越えながら駅前通りを歩いていきました。
交差点を超えるとまもなく、右側に『ささかま堂』が見えてくるはずです。
「ああ……!」
お父さんは悲鳴をあげました。
『ささかま堂』の建物は、あるにはありましたが、ほとんど骨組みだけになっているではありませんか!
特に1階のお店の部分は、壁一面のガラスが割れて、ショーケースや笹かまぼこを焼く台の代わりに、どこからきたのかわからないタタミやタンス、車などがぐしゃぐしゃになって折り重なり天井までいっぱいになっていました。
ここが自分のお店とはとても信じられませんでしたが、『ささかま堂』という看板だけは、なぜか立派に残っています。
お父さんは通りから『ささかま堂』の二階に向かって力の限り、叫びました。
「おーい! ミツコー、ミツコー!」
二階は水が来なかったとみえて、比較的、元の形をとどめています。お母さんがいるかもしれません。でも、いくら叫んでも返事はありませんでした。
「ミツコー!」
お店の奥にある階段にはとても行かれませんでしたから、お父さんは、周りに積み上がったがれきによじ昇り、二階の窓を割って家に入りました。
「ミツコ、ミツコ」
二階には、六畳間がふたつと八畳間がひとつありましたが、ここも、タンスや本棚、食器棚などが倒れて、中の物がめちゃくちゃに散乱し、足の踏み場もない状態になっています。
「いない、いない、いない……!」
お父さんは家財道具の山をかき分けて、暗くなるまでお母さんを探し続けました。
それから5日後。
お店の近くを流れていた川の向こう岸で、お母さんの遺体が発見されたと警察の人から連絡がありました。
お母さんと一緒に働いていたはずの夢子ちゃんは、どこへ行ってしまったのかわかりません。
家の連絡先を書いた紙がどこかに行ってしまって、家族の人に夢子ちゃんの消息を尋ねる方法も見つかりませんでした。