「ささかまぼこ、おいしいよう。ささかまぼこ、焼き立てですよう」
お父さんは今、仮設住宅でひとり暮らしをしながら、コンテナを並べて作られた復興商店街の中にお店を借り、『ささかま堂』を再開させています。
東京に住む息子からは何度も「一緒に暮らそう」と誘われたのですが、お父さんはどうしても、この街を離れたくありませんでした。
「やっぱり笹かまぼこは手作りでなくっちゃ」
今日もお父さんの脳裏には、笹かまぼこを自分で焼きながら、そのできばえにホレボレしていたお母さんの笑顔が浮かびます。
『ささかま堂』自慢のふわっふわの笹かまぼこは、ほかでもない、亡くなったお母さんの大好物でした。
笹かまぼことは、魚をすって卵白などと混ぜ合わせ、笹の葉のような形にして焼いたこの地方の名物です。おやつやお酒のおつまみ、ごはんのおかずとしてもおいしいと評判です。
「この味を守って、故郷に帰って来る人たちを迎えなければいけない」
お父さんは、地震や津波で散り散りになってしまった人たちに、もう一度街へ帰って来て欲しいと願っているのでした。
そんなお父さんの心を知り、創業以来の看板商品であるササカーマちゃんは、以前にもまして張り切って、『ささかま堂』のショーケースに並びました。
だけど、お父さんが復興商店街の中でお店を開いて1年半。最近は、お客さんがひとりも来ない日がありました。
今日だって、もうお昼の時間になるというのに、まったくお客さんがやってきません。さっきまで笹かまぼこを焼いていたお父さんも、ついに奥へ引っ込んで、丸椅子に座ってテレビを眺め始めてしまいました。
震災が起こってすぐのころは、街に人があふれました。
自衛官や警察官、ボランティアの人などが、日本全国、海外からも助けに来てくれたのです。
この復興商店街も、オープン当初は、たくさんの買い物客でにぎわいました。
しかし、年が明け、二年目に入るとだんだん人が減っていきました。
急を要する助けが必要でなくなったこともありますが、人々の興味が薄れてしまったことも原因のひとつでしょう。
その証拠に最近では、テレビや雑誌、新聞も、東北の様子を報じる機会がぐっと減ってしまいましたから。
「どうしよう……。こんなことでは、みんな生きて行かれない」
ササカーマちゃんは、ずいぶん前から危機感をつのらせています。
「もう、待っているだけじゃいけないんだわ。何か対策をねらなくては!」
テレビのニュースが正午を告げると同時に、ササカーマちゃんは棚からポーンとはねだして、お店を出て商店街の中を歩き始めました。
二本の筋からなる復興商店街は、当初20軒のお店がありましたが、すでに5軒のお店が、元の建物を修復したり、新しくお店を建て直して出て行ったので、今では15軒になっています。中には飲食店やおみやげ屋さん、パン屋さんに文房具屋さん、電気屋さんなどがありました。
ささかま堂』のお隣りは、海苔やワカメ、缶詰などの水産加工品を売る乾物屋さんです。
この辺りは、明治時代から日本でもトップクラスの漁業の街として栄えたところ。
豊富な魚介類を使った缶詰などの製品は、この街のお土産として欠かせない存在なのです。
ササカーマちゃんが開きっぱなしの戸口からお店の中をのぞくと、おばさんが海苔の袋詰めをしているそばで、棚に並んでいるクジランカンと目が合いました。
クジランカンは、鯨の大和煮の缶詰で、街の人たちが子どもの頃から食べて来たソウルフードです。
震災の時も大活躍したクジランカンなら、今もたくさん売れているかもしれません。
「ゲンキ?」
ササカーマちゃんはニッコリ笑って、口の動きで尋ねました。
でも、クジランカンは浮かない表情をして、肩をすくめてしまいます。乾物屋さんにもお客さんは、まったく来ていないようでした。
ササカーマちゃんはガッカリしてため息をつき、バイバイ、と手を振りました。クジランカンもため息をつき、弱々しく手を振りました。
しかし、再び通りに目をやると、三軒先の屋台の店先に、お客さんらしき人が立っているではありませんか!
ササカーマちゃんがワクワクして近づくと、鉄板の上ではちょうど、石巻焼きそばのソバヤンが、ジュウジュウと音を立てて、お姉さんに焼かれているところでした。